2018年12月06日

「ソビブル」(クロード・ランズマン監督)を見る

 先日、コンスタンチン・ハペンスキー監督の「ヒトラーと戦った22日間」を見ていたので、あの脱走劇が実際に起きたソビブルでの生き残りの証言を撮ったこのドキュメンタリー映画をぜひみたくて、きょう予約していたリハビリを30分程ほど早く終えてもらって、出町座で見てきました。

 「ソビブル」を見る、と書いたけれど、実際にはほとんど「聞く」という映画です。冒頭にかなり長い監督のメッセージが文章で表示されて、それをたぶん監督自身でしょうが、読み上げていくところから始まり、最後はこの収容所にヨーロッパ各地から送られたきたユダヤ人の数が、送り出した年月、地域別のリストになったのがこれも監督の声で読み上げられます。それはすさまじい数で、合計すると25万人!になります。おそらく「ヒトラーと戦った22日間」の大脱走で脱出した400人のうち生き残った100人以外は全員殺されたのでしょう。すさまじい数字です。

 このオープニングとラストシーンとの間は、ほとんどがその集団脱走劇の際に16歳で、ドイツ将校を一人ずつ呼び寄せては殺した囚人たちの作戦で、2人一組の計画に加わってその手でドイツ将校を殺し、脱出して生き延びた当時少年だった一人の証言者イェフダ・レルネルの語りで、これを声だけのたぶん若い女性通訳がフランス語に通訳するのをフランス語もわからない私は日本語の字幕で見るというわけです。

 証言者は蜂起の瞬間など語るときは、身を乗り出すようにして、淡々と語っていたのが表情もかわり、声の表情も豊かになるのですが、これをちょっと訳したりないんじゃないか(笑)と思えるような通訳の声を通し、さらにその日本語訳をたぶんより簡潔にした日本語で読むとなると、かなりイライラします。

 それでも彼らが決起した1943年10月14日午後4時から5時までの間に何が起きたか、体験者ならではの生々しい証言が聞けて、「ヒトラーと戦った22日間」が蜂起の事実の細部に関して、実際に起きたことをよく調査して相当忠実に描いていたことを確認できました。

 あの映画で、最初の一人を殺して、すぐに次の将校が来るので、急いで手近にあったコートの下に隠すのですが、2人目が部屋に入って歩き回っている最中に死体の腕がにょっきり出ていることに殺した側が気づいて観客もハラハラさせられるシーンがあります。ああいう細部のエピソードはドラマを盛り上げる要素として創ったんじゃないか、と思ったていたら、レルネルがそっくりことがあったことを証言していたので、かなり細部まで徹底して事実を取り込んでいたんだな、と思いました。

 ただあの場面では、現実のほうは、2人目のドイツ人将校が部屋の中をぐるぐる歩き回っていて、死体の腕を隠したコートの上から踏んづけてしまって、感触が変なのに気づいて”Was ist das? Was ist dasu?"と怒鳴ったので、すぐにこの2人目を襲って殺したと、レルネルが証言していました。目の前で見た、あるいは自ら手を下した人でなければ語れない生々しい証言でした。

 映画はこの時の脱走劇を描いたものですから、赤軍のペチェルスキ―がこの収容所に送られてくるところから脱走まで、完結感のあるドラマとして描かれているだけですが、このとき収容されていて脱走した400人(うち300人は脱走後に殺されたそうですが)の625倍(=25万人)がこの同じ収容所で現実に殺されたわけです。ドラマとしてのあの映画だけみると、ペチェルスキ―をはじめとする勇敢な指導者たちが命がけの全員脱出を計画・実行してとにもかくにも成功させた英雄的な物語で、どんなにそれまでに悲惨なシーンがあってもある種のカタルシスをおぼえるところはあるけれど、こんかいのこの「ソビブル」は、その瞬間を再現するレルネルのなまなましい証言とともに、監督の生の声で、あの脱走劇の背後にはその625倍、およそ25万人のガス室でのむごたらしい「殲滅」があった、という現実を私たちに思い知らせるのです。

 前の映画の感想にも書きましたが、あの映画で絶対的な悪を体現するナチスドイツの将校たちの姿を見ていて、ある場合には、彼らと大きな違いはなかったかもしれない、戦争中の日本人、もっと言えば自分たち自身の父や祖父に、私たちは目をそむけずに向き合うことができるだろうか、ということを今回も思わずにはいられませんでした。もちろん中国では江沢民などが主導した国民に対する反日教育の一環として、政治的プロパガンダとして、おそらくは日本の軍人や民間人が非人間的な行為に及ぶ姿を描くような反日映画が量産されていたでしょうし、向こうでその日本人の役をやったりもしているらしい日本人俳優が証言している記事を読んだこともあります。

 けれども、そういう政治的プロパガンダではなく、この「ソビブル」と「ヒトラーと戦った22日間」のセットのように、現実と、ドラマと、そして両者の距離を正確に私たちに示してくれるような映像を見せてくれた人は日本の映像作家の中に一人でもあったんだろうか、とふと思ったのです。

saysei at 23:23│Comments(0)

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