2011年02月25日

京都会館再整備検討委員会の「意見書」について・その7

 (その6からの続き)

 

 

前にも書いたように、個人的には、改修が不可避であるなら、機能不全の最小限の手直しにとどめるのがいいと思いますが、そのことによって、あれができない、これができない、とプロモーターや公演者がおっしゃるなら、その種の演目はできなくていい。

 

劇場・ホールは、用途を限定的に明確にして、「この劇場・ホールはこういう演目に最適ですから、こういう用途に使ってください、もしそれ以外の用途にお使いになる分には、こういう制約があります、それでもお使いになるなら、多少の不便は承知で、あいていればどうぞお使いください」というのが、まっとうな姿勢だと思います。

 

あれにも使えるように、これにも使えるようにと欲張ったり、あちらの県がこうだからうちも、と横並びで作ったり、それらの折衷で用途を曖昧にして中途半端な理念で作ってしまったりするから、おかしなことになります。

 

これでは使えない、という業者に使ってもらう必要は無い。こういう用途なら十分使えます、といって使ってみよう、という団体に使ってもらえばいい。制約があることを承知で、会館側の主張する主用途以外の使い方をする団体があっても、それは構わない。そういう原則的な姿勢をきちんと貫くことが会館の建設と運営には不可欠です。

 

こういうことは美術館でも昔から起きていて、学芸員の研究活動をベースに、コレクションなどを中心に、常設展や優れた企画展示で運営していくべき、本来的な美術館を、地元のローカルな美術団体、美術作家などが、自分たちの作品を展示するハレの場にしたいと主張したり、日本的特殊性にすぎない公募団体の巡回展示場に使わせろと圧力をかけたりして、一部の美術館はそういう圧力に屈して美術館の広い貴重なスペースを市民ギャラリーと称する貸しギャラリーにしてしまうようなことがあったり、北海道や兵庫県のように見識ある学芸員がそうした圧力に抗して本来あるべき美術館の理念をつらぬいた施設と活動を実現したり、といった歴史を経てきたことは文化に関心を持つ者には比較的よく知られています。

 

京都会館の再整備について考えるときも、こうした文化施設の建設の光と影の歴史によく学んで、いまの時代と市民の意向をよく踏まえた見識を示してほしいというのが私の願いです。それは、決してビジネスとしての公演のためでも、公演団体や公演者あるいは一部のファンのためだけの、いわば広い意味の業界人の意向に沿って考えるのでなく、大多数の市民の意向を慎重に踏まえて考えていただきたい、ということです。

 

こうした京都会館の制約のある施設、設備状況のもとで、それをどう活用していくかについては、私はプロモーターよりも、見識と経験の豊富な実演芸術・芸能のプロデューサーを加えた検討をしていただくほうがいいのではないかと思います。

 

プロモーターは基本的には「呼び屋さん」であり、既製の公演を呼んできてまた別のところへ持っていくことで成り立つ仕事でしょうから、全国にどんなものでも巡回できる同じ空間、同じ設備を備えた劇場があればそれが一番いいでしょう。そのスタンダードにはまらない劇場は「使いにくい」ということになるでしょう。

 

でも一つ一つの公演を生み出す(プロデュースする)プロデューサーは、それが作り出される空間や設備を前提にし、その特質を生かしながら創ろう(プロデュースしよう)とするでしょう。制約はあっても、少なくともクリエイティブなプロデューサーであれば、そういう目で劇場を見るでしょうし、そういう空間や設備を生かしてすぐれた作品を作るアートディレクターを初めとするスタッフを選ぶでしょう。

 

京都会館の再整備に最も必要な専門家としての目は、そういう視点でこのホール空間や設備を見ることのできる目ではなかったか、と思います。

 

(その8へ続く)



saysei at 00:05│Comments(0)TrackBack(0)

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