2010年12月25日

京都に「オペラハウス」が必要か?

 昨日、12月24日付け日経新聞の夕刊第一面に「京都に最大級オペラ劇場」という見出しで、岡崎公園の京都会館を100億円かけて全面改修し、「新国立劇場やびわ湖ホールと並ぶ規模になりそう」な「国内最大級のオペラハウス」を整備する、というかなり大きな記事が出ています。

 この記事が正確なものかどうかは今のところ私には分かりません。私がもう一紙とっている朝日新聞にも出ていないし、ウェブで調べても、地元の京都新聞はじめ、他紙では見当たらず、日経もその後詳しくフォローする記事が出ていないようなので、「国内最大級のオペラ劇場」については、以下、とりあえずこの記事を信用して書きます。したがって、もしこの記事が正確なものではなく、京都市やこの事業をめぐる関係者に、そのような施設を作る意図が微塵もないというのであれば、私のこの記事は撤回します。

 しかし一方で、この記事がとりあげている劇場に関しては、京都市のウェブサイトに、京都会館の再整備に関する有識者・専門家の検討委員会の意見書や関連のプロポーザルコンペ関係の文書として関連情報が公開されています。

 ただし、有識者・専門家の委員会の意見書で提案されているのは、ホールとしての主機能について言えば、現在の京都会館がもっている多用途性(普通「多目的」と言われる)のある2000席規模の第一ホールと、1000席規模の第二ホールは「非代替性」ゆえに再整備でもこの前提を踏まえるべきだ、というだけで、「国内最大級のオペラ劇場」を提案しているわけではありません。

 十分なバックヤードやフライズを備え、しかるべき舞台・音響・照明装置を持てばオペラもバレエもできるじゃないかと言われる方もあるでしょうが、改修に際しては現在の京都会館の多用途性を残すようにしましょう、という話と、「国内最大級のオペラ劇場を作る」という話とは全然違います。バックヤードも違ってくるし、舞台・音響・照明装置もオペラハウスほど重装備すればそれだけで劇場建築の費用とは別に数十億はかかるでしょう。

 「オペラ劇場」をつくる、という話はいったいどこから出てきたのでしょう?

 よくあるのは、知事や市長がヨーロッパへ出かけて、たまたま観たオペラに感動して、「うちでも作ろう」などと突然言い出すような場合です。某政令市でまさにそのようなことを経験して、せっかくいい方向にいっていた議論をあやうく全部パァにしてしまいかねないがけっぷちまでいき、元に戻すまで数ヶ月苦労したことがあります。

 いまの京都市の市長さんがそうなのかどうかは知りません。そうでないとすれば、プロポーザルコンペを勝ち抜いた業者の提案が「国内最大級のオペラ劇場」だったのでしょうか?

 だとすれば、今度はそんな馬鹿げた案(と私には思えます)を選んだのは誰なのか?というのが私の大きな疑問です。

 京都市民の大多数にとって、それはブラックボックスで全然知らされていないことだと思います。
 税金を100億円も(終わってみれば地下鉄と同じように、その何倍もかかりました、ということになるかもしれません。)使う事業、いや、あとの運営費を考えればその何倍、何十倍、何百倍も長い将来にわたって垂れ流すことになるだろう事業を立ち上げるということを、いったい具体的にどこで誰が決めているのでしょう?

 改修だから100億と見込んでいるのでしょうが、例えば記事の挙げている新国立劇場の総工費は750億円、びわ湖ホールの総工費は330億円、いずれも20世紀末の話です。いまあれに匹敵するオペラハウスを、というのであれば、100億では不足でしょう。結果的に巨額の増額となったあとの、あとづけの言い訳は行政のお得意です。

 むろんこういう事業計画の推進の最終責任は、市長なりその事業計画や予算を通す議会にあるでしょうが、市民にとって、京都市にとって、どんな文化施設が本当に必要なのか、正確に理解しているような市議会議員さんはほとんどいないでしょう。
 権限に伴う責任はあるけれど、所詮は政治家であって、残念ながら日本の政治家で文化政策や文化施設について広い視野と深い理解をもって大きな都市の長期的なヴィジョンを自らリードし、決することのできるような人は、どこを探してもいないのではないかと思います。

 だから、業者のプロポーザルを実質的に評価し、選んで、結果的に京都市の長期的な文化施設計画に重大な影響を与えかねないこのような事業を決定してしまうような人間が、お役所の中に、あるいはお役人に助言している人の中に居るはずです。

 こんな案をよしとして議会なり市長なりに挙げていく役割を果たした責任者はいったい誰なのでしょう?

 そこが一番問題なのではないかと思います。新聞記者は、京都に「国内最大級のオペラ劇場」ができる、などと、官庁の「大本営発表」を報じるだけでいいのでしょうか?

 なぜ肝心のことを独自の情報源を駆使して調べ、そういう実質的な責任を負うべき担当者を市民や記者の前に立たせて、少しでもよそのホールや劇場のことを調べたことのある記者なら容易に疑問を生じるような問題点について、納得のいくまできちんと追及しようとしないのでしょう?

 端的に言って、京都市に「国内最大級のオペラ劇場」など必要ないし、これでもっとも大きな利益を得るのは、税金が大量に流れ込んでくる建設業者、設備業者だけではないでしょうか。

 むろん市民の中にもオペラファンはいますから、そういう人の中にも喜ぶ人はいるかもしれませんが、京都市民のなかのオペラ人口の比率をどなたかご存知でしょうか?この事業を開始する前に当然京都市が行っているはずの事前調査で、その数字が分かっているなら、ぜひ公表してほしいと思います。

 東京でサントリーがクラシック音楽専用ホールをつくるときによく交わされた音楽関係者たちの議論のなかでも、東京でさえクラシック音楽人口と言えるのは1%未満だろう、と言われていました。オペラなどに比べれば断然厚いファン層をもつクラシック音楽でさえそうなのです。ましてオペラ、まして京都においてをや!

 大多数の京都市民にとって、今後子供や孫の世代までこの「無駄遣い」(と私が考える)のツケを、税金で払わされ続けることになるだろうと思います。比叡平に住んでいる友人が、同じ比叡平の団地でも、すぐ近所の大津側は地方税が安くて、京都側はうんと高いとぼやいていました。そういう高い税金をとっておいて、またこういう無駄遣いをするのでしょうか。

 こういうと、文化に金を使うのは無駄遣いではない、と頓珍漢なことを言う人がいると困るのではっきりさせておきますが、私はもっともっと行政は文化に金を使っていい、使うべきだと考えている人間です。しかし、その使い方はこういう無駄遣いであってはならないと思います。そのことはあとでほかの使い方も挙げながら言いたいと思います。

 100億の建設費だけで、京都市の世帯62万世帯のすべてが、世帯あたり16,000円出さなくてはならない勘定です。赤ん坊まで含めて1人あたり6800円ほど出す勘定です。

 オペラ劇場の事業運営を欧米の著名な大規模オペラハウスなみにやろうとすれば年間50億前後のお金がかかるでしょう。毎年オペラ劇場の活動を維持するためにだけ、京都市の全世帯にそれぞれ未来永劫(?)8000円ずつ出しつづけろ、という計算になるでしょう。

 ドイツやイタリアのようなところは、それでも国家の威信をかけてそれをやっているわけです。国民もそれを了解して税金の支出を認めているといっていいでしょう。事業費の半分くらいは国が出さないとオペラなんてあんな規模で続けられるはずがないのです。でもなぜ京都がオペラ?冗談じゃない!

 「国内の代表的なオペラハウス」の例では、平成22年度の新国立劇場事業費は47億5800万円、びわ湖ホールの平成21年度決算における「事業活動支出計」が14億円です。びわ湖ホールについては県議会が2008年の予算の大幅削減を決定するなど、運営環境は厳しさを増しています。

 ちなみに、私はびわ湖ホールは健闘してきたと思います。びわ湖ホールの運営が危機に瀕しているからといって、議会の予算削減に賛成はしません。
 むしろ京都の人間として、そのびわ湖ホールの客を奪い、いたずらに競合する施設を市民の税金を使って作ろうという京都市に対して、何を考えているのだろうと思い、滋賀県に対して申し訳ないと思います。
 そして、関西では既に存在する「国内最大級のオペラハウス」に準じる機能をもつびわ湖ホールと兵庫県の芸術文化センターがあれば、純粋に拠点的な文化施設の配置論だけで考えても、京都に同種の施設は不要だと考えます。

 オペラ人口から考えても、彼らは本当に見たいオペラがくれば、関西圏内にあれば上々で、どこへでも見に行きます。
 実際、私自身もびわ湖ホールがいい企画をするので、海外の一級品のダンスカンパニーなどがくれば、びわ湖ホールへいくのに、何の不便もありません。 
 また、兵庫県の西宮にある芸術文化センターもこれを補う形でいい企画をするので、そちらも会員になっていて、私の好みの企画なら行くのに不便は感じません。

 どんなに熱心なファンがいても、その層が薄い(少人数)場合は、それに対応する専用施設は、広域圏をカバーする拠点施設で対応すればいいので、すべての都市になくてはならないと考えるほうがどうかしています。熱心な少数のファンは、居住地のそばになくたって、観たいものがあれば、どこへでも見に行くものです。

 さて、先に挙げた国内のオペラ劇場の事業費に対して、事業収入は新国立劇場が2億2500万円、びわ湖ホールが2000万円弱です。桁間違いではありません。客のチケット代金の収入などそんなものなのです。こうした劇場の運営は、国や自治体の助成なくしては運営不可能です。

 だから運営や建設をやめろとか、いや、だから国や自治体で支援して維持せよ、建設せよ、と短絡的に主張したいわけではありません。
 まず、こうした事実をしっかり市民に知らせ、「あなたの税金からこれだけのお金を出してもらうことになる、それでもオペラハウスを建設し、維持する意義があるのです」、と堂々と提案して、市民がその提案に賛意を表すればオペラハウスを建設するも、維持するも良いと思います。

 いま全市民に(むろん無作為抽出による統計的に意味のある調査であれば悉皆調査でなくて結構)アンケートをかけて、オペラハウスの建設と維持によって市民の負担が幾らになるのか、知っているかどうか、またその見込み額を示した上で、それでもオペラハウスが必要だと考えるか、京都市は調査をしてみてはどうでしょうか。

 たしかに「京都会館再整備構想策定に係る市民アンケート」なるものは実施され、その調査結果が文化市民局からウェブで公開されています。
 京都会館については、「京都会館の現在の役割と今後の期待」について、市民が「質の高い演劇や音楽等に接する機会を市民に提供するところ」「プロの歌手や劇団が公演を行うところ」であることが求められているのがわかる(「特徴的な結果」)などとまとめてられているけれども、そんなことならいまの京都会館でやっているわけですし、こうした抽象的な選択肢で示されるような意向が、かりに京都市民の意向を正確に反映していると仮定しても、とうてい京都会館を「オペラ劇場」に改修する、というような事業計画を正当化するものではありません。

 そもそもこういった事業を実施すべきか否かということは、その事業だけを思い浮かべて答えるような設問によって評価されるはずがありません。
 市は市民の税金による限られた予算の中で幅広い様々な施策を展開しています。また文化の領域ひとつとっても、文化施設の建設や管理運営に投じる予算もあれば、施設を伴う伴わないに限らないソフト的な事業に投じる予算もあり、教育的なプログラムに投ずべき予算もあります。

 そういった様々な予算項目の中で、どこにどれだけの比重で支出していくかということが、まず大きな判断の働くところで、どれもやらなくてはならないけれども、そのウェイト付けに市民の意向が反映されなければ為政者の恣意で税金を使うと誹られても仕方がないでしょう。

 アンケートというのは怖いところがあります。いくら統計的に意味がある調査となるよう厳密な手続きをとろうと、データを正確に処理しようと、もともとの設問の仕方がいい加減であれば、極端に言えば、どんな結果も導くことができるでしょうし、またデータの解釈のところで、恣意的な解釈となるおそれはどんな場合でもあるはずで、「市民アンケート」なるものがまるで事業計画の正当性を補完するかのように添えられているときは、単なるエクスキューズのためのものに過ぎないものでないかどうか、よほど眉に唾して受け止めなくてはなりません。

 たとえば、「京都会館の今後の役割」についても、現在の役割を聞いた上で、同じ選択肢でそれを聞けば、ほとんどの回答者は、その選択肢の中のどれかを選ぶでしょう。
 つまりその設問は、現在の京都会館の果たしている役割の延長上に今後の会館の役割を考えていて、回答者の答をその方向に結果的には誘導していることになるでしょう。
 いくら「その他」の項目を設けても言い訳にはなりません。事実上、設問者は、回答の幅を、自らが提示した選択肢の間での若干のウェイト付けの変化の幅におさめようとコントロールしているわけです。

 あるいはまた、オペラハウスを作らせようという意図を持った設問者が、「京都の文化ゾーンである岡崎公園に、質の高い演劇や音楽等に接する機会を市民に提供するような、プロの歌手や劇団が公演する場があればよいと思いますか?」と問えば、多くの市民は、それはいいことだな、と賛成するでしょう。
 ほかの生活上の、あるいは狭くとっても文化施策上の、どんな項目との比較もなく、予算的な自分たちの負担も意識させることなく、真空状態で、そのことだけを尋ねられれば、よほど芸術文化に反感を持っている人や、こんな設問は無意味で、よからぬ意図があると見抜いた人以外は、あぁ、「文化の京都」らしい、そんな場があればいいな、と賛成するに違いありません。私だって単独でそのことだけ聞かれれば賛成します。

 でもちょっと待ってください、だからといって、京都会館を100億つかって改修して、年間たくさんの税金を垂れ流す結果が目に見えている「国内最大級のオペラ劇場」を建てていい、と市民が京都市にお墨付きを与えたことになど、全然なりませんよ!

 自分たちの負担やほかの数多くの喫緊の行政課題との比較を踏まえて判断すれば、99%以上の市民が、「もっとほかに優先してやらないといけないことがあるだろう!」と声を大にして言うのではないでしょうか?

 ためしに、「いま京都市が考えている『国内最大級のオペラ劇場』をつくるには、あなたの世帯あたり、税金から建設費分だけで少なくとも16000円、それに毎年ひょっとすると8000円、このオペラ劇場を支えるためだけに出してもらうことになるが、福祉や教育や経済振興などの諸課題と並べても、このオペラ劇場をつくることが一層重要であると市は考えている。賛成してくれますか?」というアンケートでもとってみればいいでしょう。

 それはいまこの計画を推進しようとしている京都市や、この計画に加担しているコンサルタント(大学の研究室らしいけれど)や、「有識者・文化人・専門家」たちには、こわくて絶対にできないのではないでしょうか。きっと彼らの意向とは正反対の市民の圧倒的多数の意向が明瞭に示されるでしょうから。

 実施されたアンケートなるものの文言を注意して読まれるといいでしょう。「質の高い演劇や音楽・・・」ですって?普通、こういうアンケートでは、マイナーな演劇よりも、メジャーな音楽分野を先に持ってくるものですが、不思議なことにこの設問は「演劇」を先に持ってきています。面白いですね。こんな設問の選択肢の言葉の細部にも見る人によっては姑息な意図を読み取ることができるのではないでしょうか。

 音楽ホールなら専用の立派なのがありますからね。ここはどうしたって、オペラもできる重装備の劇場がつくりたいわけです。つい「演劇」が先に出てしまったのでしょう。そして、なんとかオペラハウスにつながるようなアンケート結果にしたかったのかもしれません。

 何十億、何百億もかかるような文化施設の建設は、昔から知事や市長が自分の代につくって「勲章」にしたがる、ということがありました。その意向を受け、あるいは忖度して官僚組織が動き、税金が出てくるとなると、利権に群がる業者(設計や建設を受注する企業など)が登場します。

 その周辺に、その事業を正当化するための「有識者・文化人・専門家」の面々が集められ、基本的には行政の掌の上で踊り始めます。

 専門分野でどんなにすぐれた実績を持つ人であっても、この種の政策的な課題について精通しているとは限らないし、ましてやその行政的な進め方については無知であることが多く、たいていは官僚の掌を出ることができません。

 美術館をつくるとなれば、著名な美術作家や美術評論家あるいは美術教育者のような人が委員になって首長やその意向を受けた官僚の意向をオーソライズすることに結果的に加担させられることが多い。
 しかし、例えばどんなにすばらしい絵を描く画家であっても、美術館の運営や施設に詳しいなんてことはめったにありません。でもいいのです。へんに知っている人より、知らないけれど、市民にその名を言えば分かるような著名人のほうが、単に官僚の意向をオーソライズするだけなら好都合なわけですからね!

 しばしばこういう組織に「市民代表」が入れられたりします。なぜこの人が市民を代表できるのか、なんて「野暮な」ことを言う人が出てきても、いちおう言い訳できるような名目はちゃんと考えるのが優秀なお役人ですから、そこはぬかりはないでしょう。

 こういう組織をつくって、これと、先のような「市民アンケート」で、どんな奇怪な事業計画であれ、正当化できる、というわけです。だって、「専門家の意見も、市民の意見も聞いたぞ」という鉄壁のアリバイがあるのですから、もう怖いものなしです。

 こうして数百億単位の税金が無駄遣いされていく。一時は財政的に危機的な状況に陥りかけてハコモノは一切ダメ!という雰囲気があった(というより事実そうであったと思いますが)京都市が、いまでは「国内最大級のオペラ劇場」を計画できるまでになったんですね。おめでたいことです!

 でも京都になぜいまオペラハウスが必要でしょうか?どう考えても享受層が少なく、ニーズの乏しい、税金を垂れ流すだけの、そして創造側、公演側にもヨーロッパのようなそれなりに歴史と伝統、実績をもつ厚い基盤が日本にないオペラという特殊欧米的なジャンルのための施設を、日本の中の「日本」、日本の伝統的な文化を代表するこの京都に、なぜ作らねばならないのか、誰でも理解に苦しむでしょう。

 南座を支援するというのなら分かります。その周辺に関連施設をつくって歌舞伎や古典芸能の振興を図るとかね。また、新しく劇場を作るにしても、これは蜷川幸雄のプロデューサーをしていた中根公夫さんが以前に言っていたことの受け売りだけれど、古い歌舞伎小屋から現代の歌舞伎劇場まで、さまざまな歴史的様式の歌舞伎小屋を現代の劇場建築技術で、全部表現できるような可変劇場を作って、どの時期の歌舞伎を演じるときも、その時代に使われた様式の劇場空間を再現してそこで演じられる、そんな劇場を現代技術の粋を集めて作るんだ、というのなら、私は耳を傾けてもいいと思います。

 また、かつて市長もオーソライズして基本構想まで作って公表した「歴史博物館」のようなものを実現していこうというのなら、歴史都市京都にふさわしい事業として賛意を表します。それは都市戦略の中核ともなりえるものだし、市民の中にも賛同する人は少なくないでしょう。

 だけど、ヨーロッパの或る時期に生まれて、ドイツやオーストリアやイタリアではいまも、どんなに金をかけてでもいわば国家の威信をかけて守らなければならなくなった特殊ヨーロッパ的な伝統芸能の一種であるオペラを、なぜ日本文化の核ともなるべき京都という都市の「文化ゾーンのシンボル」として作らなければならないのか。まるで理解できません。

 逆に、パリやウィーンやミラノに、「100億かけて(いや最初からつくれば200億も300億もかかり、運営費にまた毎年10億、20億とかかるでしょうが)歌舞伎劇場を作る」、とパリ市長やウィーン市長やミラノ市長が宣言したら、パリやウィーンやミラノの市民はどう言うでしょうか。
 そんな市長は狂気としか思われず、轟々たる非難の中で辞職せざるを得ないでしょう。

 そういえば、パリの橋を京都の賀茂川に掛けたい、とおっしゃった市長さんがいましたね。パリの市長さんは、「交換に京都の橋をパリのセーヌ川に掛けたい」、とおっしゃらなかったけれど(笑)。

 いつまで欧米文化への卑屈な精神的態度をとりつづければ気が済むのでしょう?京都市民は本当にこういうことを企画する人たちと同じように、いまだに欧米芸術文化への劣等感にまみれているのでしょうか?私にはそうは思えません。

 昔はよく政治家は「文化は金にならない」と文化に関心を持たなかったようですが、文化の時代、などと言うようになって、各地で何十億、あるいは大きいのは何百億もの金が投じられるようになると、ずいぶん様変わりしてきたようです。
 膨大な金が動くこういうところには利権がからみやすいのはいつの世もどんな地域でも同じようです。

 今回京都市が行った「プロポーザルコンペ」というのは、文化施設建設のように経験と実績がものをいう分野に適用するときには、良い面もありますが、反面、行政の側に不純な要素の入りこまないオープンなシステムが徹底していないと、費用の高い低いだけで決まる入札のような機械的な公正さが期待できなくなります。

 「プロポーザル」というのは「提案」ですが、がちがちの設計図のようなものではありません。たとえば建築設計について通常の設計コンペであれば、設計の詳細図面や模型も含め、もうその通りに建てることのできるような成案を比較して、どちらがすぐれているかを評価して特定の設計者に決めるのが普通ですから、あとでその案を変えるのはルール違反です。

 お金を出す行政側であっても恣意的に変えることはできないはずで、勝手に変えようとして裁判沙汰の争いになったりするケースもあります。

 それは或る意味で不自由ですが、選ぶときの判断材料に曖昧さはありません。

 しかし、プロポーザル・コンペとなると、そいういう固まった成案で比較するのではなく、実績などから判断される設計者のポテンシャルも含めた総合的な判断で選ぶので、「案」を選ぶというより、「人」(事業を担う組織)を選ぶのが特徴です。

 だから、力のある政治家とのつながりや、有力な官僚とのつながりなど、その事業を遂行する能力や提示された案の中身とは異なる、外部的な不純物が業者選定に入り込む余地は、入札や通常の成案の比較による設計コンペなどに比べるとずっと大きくなるという欠点があります。

 プロポーザルの場合は、選ばれた業者と行政が相談をしながら事業を進めていくので、お金を出す側の官僚組織の意向を、業者選定後の計画推進途上で強く反映することも容易です。

 プロポーザル・コンペの要綱に、「この事業を進める上で知りえたことを外部に漏らしてはならない」、というような条項もありますが、本来なら、行政がこのような事業を進めていくプロセスは、業者との話し合いの内容も含めてすべて市民に公開しながら進めるべきだろうと思います。
 方向付けが変わったり、付け加えたり、削られたり、そういうことは税金で行う事業である以上、逐一市民に報告されるべきだろうと思います。

 もうプロポーザル・コンペの結果も決まり、この事業はたぶん多くの市民が知らない間にどんどん「関係者」たちの間で進められていくのでしょう。その結果市民が負わなければならない負担はあまりにも重く、理不尽です。

 私たち市民も、そして新聞や雑誌、テレビなどのメディアも、しっかりこうした事業の行方を注視して、「ノー!」と言うべきことにははっきりと声を挙げていくことが大切だろうと思います。
 私たち個人としての市民は行政が平気で無視するような微力でしかありません。本来マスメディアはそういう市民の側に立って行政や業者を監視すべきなのに、いまはまったく御用メディアとなりはてたかのように、「大本営発表」のように行政や業者の発表を伝えるだけで、自らの社会的使命を忘れているように思います。

 
 

saysei at 16:19│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

2. Posted by saysei   2010年12月29日 01:26
コメントありがとうございます。私は文化行政に力を入れてほしいと思っているので、それだけよけいに、わずかな文化行政予算をオペラハウスなどに使ってほしくないと考えています。政治家に期待できないのはいまの日本でどこを向いてもあきらめるしかないのかもしれませんが、マスメディアが市民の立場できちんと批判できないのが情けないです。
1. Posted by Yo   2010年12月26日 10:53
日経の24日付け京都会館の記事を見て、google検索していたら、貴殿のブログを見つけました。
私が、日経の記事を読んで感じたことを、うまく文章にしていただいて嬉しかったです。
すぐに文章をまとめて書かれるなんてすごいですね!!!

京都会館から車だと一時間もかからないほん近くの滋賀県の大津市にもオペラハウスがあるのに、なぜ京都会館をオペラハウスにする必要があるのか理解できません。
大層な箱物を造ると後の維持管理費が膨大になるのに、赤字団体の京都市は、市民の税金の使い道をもっと真剣に考えて欲しいと思います。

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