2019年04月

2019年04月26日

『降りつむ』を読む

 美智子妃による詩や短歌の英訳詩と朗読が記録されたDVDから成る『降りつむ』を読み、朗読を全部聴きました。

 皇室に特別な関心があるわけでもなく、周囲の多くの人たちと同じように距離感を当然の前提にした淡い関心と無関心の境で、とくに現天皇在位の後半期の天皇・皇后のありように或る意味で強い共感と敬意を感じて来ただけだった私が、この本を偶然書店でみかけて手にとったのは、そこに掲載されているのが日本の詩を妃自身の手で英訳されたものだったからで、どんな詩を選び、どんな風に訳されたのか興味を覚えたからです。

 しかし、正直のところ書店の店頭での立ち読みでパラパラ眺めるだけにしようと思っていた私が、これは全部読んでみたい、聴いてみたい、と思ったのは、たまたま開いたページに、最初の英訳詩として、永瀬清子の「降りつむ」とその英訳が置かれていたからです。

 永瀬さんは私が若いころから大好きな詩人の一人で、詩も短章も読んできたのに、妃の本のタイトルを見てすぐに気づかなかった自分にハッと驚き、若き日の自分に対して恥じ入るような気分になりました。

 Snow falls on this country of sorrow.
    Snow falls as though to say, "Feed on your sorrow."
    Snow falls on loss and devastation:
          On mountains and rivers,
          On people with shabby clothes,
          On orphans with dishevelled hair.
    Snow falls, as louder the encircling seas moan.

   ・・・・・・・・・

 それは敗戦直後に上海で生まれ、父母の手に守られて辛うじてこの国に帰り渡って、今日まで生き永らえてきた私もまた間近に見たはずの、初源の光景にほかなりません。私の子供時代の風景のおぼろげな記憶のうちにも、この詩人の見た「かなしみの国」の光景は確かに残されています。

 私に英詩を正確に読む力はないけれど、美智子妃は「かなしみの国」に降りつむ雪の「非情のやさしさ」に注がれる詩人の眼差しを、柔らかな響きのうちに或る勍(つよ)さを持ったことばで伝えてくれているように感じました。勍さとは例えばこんな箇所・・

 Bear the winter cold as do strong leaves of grass rooted in the earth.

 同じ永瀬清子の、次の詩「夜に燈(ひ)ともし」もすばらしい詩です。

 ・・・・・・・・・・・

 さびしい一人だけの世界のうちに
 苔や蛍のひかるように私はひかる
 よい生涯を生きたいと願い
 美しいものを慕う心をふかくし
 ひるま汚した指で
 しずかな数行を編む

 苦しい熱にみちた昼の私を濾して
 透明なしたたりにしてくれるもの
 一たらしの夜の世界
 自分のあかりをつけるさびしい小さな世界
 おもいでと願いのためにある卵型の世界
 一人で通る昨日とあしたのしずかな通路

 ・・・・・・・・・・・・・

 Alone in my solitary world,
   I glow like gleaming moss or a firefly.
   Yearning to live a worthy life,
   Deepening my longing for beauty,
   Weaving quiet lines
   With fingers soiled during the day.

    Leaving behind noonday's tormenting heat,
    I pass through a sieve to become a transparent drop.
    Ah, this, my filtered world of night,
    A tiny, lonely world whose only light I am,
    An oval world existing for memory and desire,
    A quiet passageway, through which 
    I walk alone, from yesterday to tomorrow.

  その次に美智子妃が置かれたのは、新川和江の「わたしを束ねないで」です。
 これはぜひ原詩と英訳そろえて、みなさんも読んでみてください。全文写しちゃうと著作権上問題があるでしょうから、一部だけ・・・

 わたしを束ねないで
 あらせいとうの花のように
 白い葱のように
 束ねないでください わたしは稲穂
 秋 大地が胸を焦がす
 見渡すかぎりの金色の稲穂

 わたしを止めないで
 標本箱の昆虫のように
 高原からきた絵葉書のように
 止めないでください わたしは羽撃き
 こやみなく空のひろさをかいさぐっている
 目には見えないつばさの音

 ・・・・・・・

    Please
    Do not bundle me 
    Like a bunch of gillyflowers
    Like a bundle of white leeks
    Please 
    Do not bundle me 
    For I
    Am the rice-field
    With far-stretching waves of 
    golden ears
    That burn the heart of the pining
    earth
    In late autumn

    Please 
    Do not pin me
    Like an insect specimen in a box
    Like a picture card from the
    mountains
    Please 
    Do not pin me 
    For I 
    Am the flapping of the wings
    The unseen rustle of the wings
    That smoothly touch
    High and low
    The vastness of the sky

 ・・・・・・・・・・

 束ねないで、止めないで、注がないで、と拒む言葉に続けて、わたしは稲穂、わたしは羽撃き、わたしは海、と差し出される言葉の勍さ、美しさ、開放感。この転換のすばらしさが、原詩の扇のかなめのような気がしますが、英訳はそこに、For I  ・・・ とわずかな留保の瞬間をはさむことで、転換の速度を消すかわりに、詩人の掌が宙へ投げたものが何かと追う目線を読者に促すような言葉になっているように感じました。

 朗読もすばらしいものでした。

 美智子妃が感受性豊かで聡明な女性だということは、とくにその個人に関心がなくても、ご成婚当初から様々なメディアによって自然に知られている事実でしたが、こうして彼女が選んだ詩がどのような詩人の詩であるか、それをどのように受け止められたかを垣間見るにつけ、あらためてそのことを実感させられるような思いでした。

 もしも、とあり得ない空想をして、彼女が運命のいたずらで后となる道をたどらず、民間の裕福な事業家の令嬢として生きられたとすれば、トップクラスの女性外交官であれ、国際機関の長であれ、はたまた研究者や芸術家であれ福祉関係者であれ、どんな仕事につかれても、その類まれな感性と知性を生かしたすばらしい人材として、人並外れた活躍をされただろうことは想像に難くありません。

 しかし彼女はご成婚のとき自ら言われたように、自分の意志で当時の皇太子に嫁がれた。のちに明かされたように、決して皇太子であるからではなく、自分の理想とする男性であったから、と。

 そして彼女は「国民の象徴としての天皇」となることを定められた伴侶の心に寄り添い、その個性を消すように対なる幻想のうちに自らを融かし、生きられた。先に書いたような彼女の抜群の資質や能力のすべてを挙げて、というよりも、それらを静かに解体し、消去するかのように、個の幻想として飛翔する力とするのとは逆に、すべてを対なる幻想の世界に返し、みずからの個をそこに融かして、個そのものが共同的な精神の肉体であることを定められた存在のありようと一つになることを選ばれた。

 個としての精神と肉体を備えて生きる一人の人間としての自己と「国民の象徴」という共同の精神そのものを身体とせざるを得ない自己との矛盾などというものは、本来、生身の人間が心身を病むこともなく担うことができるような代物ではないと思いますが、敗戦直後の理想主義的なアメリカの民主主義教育を受けた現天皇にとっては、いっそう存在としての自己矛盾のような根源的なストレスであったに違いなく、しかもその孤独は政治的権力者のそれとは違ってどこにもはけ口、出口を見出すことができず、ただ黙してひとりで負うほかはない絶対的な孤独であったに相違ありません。

 その彼にとってたった一つの救いが、「個性」を自ら解体あるいは消去して、この絶対的な孤独に寄り添い、融け合うことを選んだ伴侶であったろうこともまた、想像に難くありません。それを可能にしたのは、美智子妃の類稀な共感力、人の哀しみに寄り添い、文字通り共感することができる、柔らかで繊細な感性とみずからを解体・消去することのできる帰りがけの目をもった高い知性だったのではないかと思います。

 ここ数年の二人の行動、福島の被災者に寄り添い、多くの日本人が戦死しいまでさえなお深い傷跡が残る南太平洋の島々を訪う姿には、鬼気迫るものを感じないではいられませんでした。それは現天皇にとって、心臓病をはじめ、もういつ倒れても不思議ではない身体に鞭打って、自らの強い意志で強行された、ほとんど決死の行脚と言ってもいいものだったように思います。

 きっと現天皇は、否が応でも身近に見て来た父・昭和天皇の「生き方」、あるいは時代と社会、国家による「生かされた方」、そして「死に方」を、誰よりも深く、その心身の内奥深くで受け止め、そこから自らの生き死にのありようについて孤独な自問をそれこそ千回も万回も日々繰り返して歩んできたに違いないと思えます。その孤独は、つまらない天皇主義者や反天皇主義者などが一指も触れることのできない、まるで次元の異なる深い孤独だったに違いありません。

 美智子妃はこの孤独な魂によりそい、融け合って一つになることを選ぶことによって、孤独な魂にとってただ一つの救いとなり支えとなっただろうことは疑う余地もありません。

 私は天皇主義者でもなければ反天皇主義者でもないし、皇室に特別な関心を持たない、したがってまた天皇についても皇后についても特段の関心をもつことのなかった一老人にすぎないけれど、ここ数年の天皇・皇后の姿に心打たれ、またこの美智子妃の英訳詩集を通じて彼女の共感する力、人の哀しみに寄り添うことのできる感性、知性のありかたに深く心を動かされたことを自分のために書き止めておきたかったのです。まぁ現天皇皇后ファンとしての、片思い的ファンレターとでも(笑)

 皇位継承のありようをめぐって世間ではかまびすしい議論があるけれど、私は三島由紀夫とは違って文化がフォルムだとは考えていないので、次代の天皇が現天皇・皇后のこのような後姿に心動かされてその想いを引き継ぐのでない限り、制度としての天皇制がつづこうが途切れようが、そこに三島由紀夫が夢見たような日本文化の伝統の水脈が保たれる希望など見えるはずもないと思っています。

 最後にもう一度この本に戻って、美智子妃自身の歌から。一番好きなのは「蚕の御歌 5首」で、その英訳詩もまた短歌とはニュアンスの異なる全体として一つの詩として流れる魅力があって素晴らしいけれど、ここではここ数年の天皇皇后の行脚に通じる歌をふたつ。どちらももとの歌、英訳詩とも美智子妃の手になるものです。(アフガニスタンの御歌 3首より)


アフガニスタンの旅

 バーミアンの月ほのあかく
 石仏は
 御貌(みかほ)削がれて立ち給ひけり
           (昭和46年)
 
 There at Bamiyan
    Under a moon faintly red
    The great stone Buddhas,
    Their sacred faces shattered, 
    Are still awesomely standing.

 


 知らずしてわれも撃ちしや
 春闌(た)くるバーミアンの野に
 み仏在(ま)さず
           (平成13年)

    All unconsciously
    Have I too not fired a shot? -
    With Spring well along
    On the plains of Bamiyan
    The stone Buddhas are no more.


以上、引用はすべて『降りつむ 皇后陛下美智子さまの英訳とご朗読』2019年1月30日発行 毎日新聞出版 によります。

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散る花の美しさ

散る花1


 ほかより時期の遅い共同庭の桜も、さすがにこの雨で散っています。まさに落花狼藉たり。風狂じて後、啼鳥竜鐘たり雨の打つ時・・・
 
 今日は写真を少し大きめにして、この私有地ゆえ入っていただけない団地の共同庭の美しさをご披露します。すべてお隣の園芸好きの方の数十年に及ぶ完全に無償の、丹精込めた絶え間ない手入れ、庭づくりによって実現した浄土の光景です。

散る花2

 居間に坐ってゐながらどこよりも素敵なお花見のできる、花の盛りもすばらしいけれど、こうして散った花びらが石畳を覆うように美しく飾ってくれるこの時期も大好きです。

散る花3


 八重桜も芍薬も蓮華も、みんなお隣のかたが植え育ててこられたものです。

散る花4


 なにげなく出入り口を入り、細い通路から住宅がロの字に囲むこの空間に出ると、突然ほんとうに夢の世界、浄土の世界が眼前に開けたような錯覚を覚えます。

散る花5


 共同庭は、それぞれのお宅の裏についている小さな専有庭の入り口にそのまま続いています。だから落花の道のどれかをたどっていくと自分の家の庭へ入っていけます。文字通りの花道ですね(笑)


散る花6

 逆に専有庭の方からみると、生垣の向こうに広がる共同庭は視覚的に一体化されるので、みなそれもj分の家の庭のような広がりと解放感があります。各戸の居住空間自体は、コンクリト長屋で、ごく狭小なもので、表の団地内路地から玄関をみると、え、こんなに狭い小さな住まいなの、という感じです。でも、その表の路地に面したDKから、一段高い居間、その先にあるテラスと専有庭、さらにその向こうに広がる共同庭と、すべて視覚的に遮蔽せずに一体化されているので、空間感覚としては実際の広がりよりはるかに大きく、自由に展がった空間のように感じられます。

散る花7

 そして眼前に広がる光景がこれですから、アメニティ最高です。


散る花8

  団地は120軒の住戸から成り、10個のブロックから成る集合住宅です。ブロックごとに面積も異なり、共同庭の面積も全然違っていて、私が40年近く前に長男が生まれた時、住宅をさがしあぐねていて友人に公団の入居募集を教えていただき、ダメモトでモデルルームになっていたいまの家を選んで、幸運にも25倍の抽選を引き当てて入居できた、このブロックは、10のブロックの中でも行動庭のスペースは最大だと思います。

 そして、ほかのブロックの共同庭ももちろん理事会のほうで植栽の管理維持のために専門業者に依頼して、春と秋の毎年2回は結構ディープな手入れをしているのですが、それでもほとんど毎日共同庭へ出てこまごまとした作業まで楽しみながらやってくださっているお隣の方に育てられ、見守られてきたこのブロックの庭ほど四季それぞれに美しい快適な庭はどこにもありません。

散る花9

 当然住民の間からも、共同庭やその他の共有地の環境維持に対する彼の信じられないほど多大な貢献に対して、何か感謝を形であらわすべきではないか、という声が起き、ある年の理事会では作業にたいする報酬とまではいかないけれど、気持ちだけでもお渡しできないか、というような発案があったのを覚えています。たまたま理事の一人だった私は、それはきっとお受け取りにならないでしょう、とそういう方法には賛意を表しませんでしたが、あえて反対はしませんでした。でもやはり私が思ったとおり、彼はそんなものは全然受け取ろうとはされませんでした。

散る花10

   でも住民たちの99%は、この庭を40年近くもの間、こんなに素敵なものに育て、見守りつづけてきた方に心から感謝しています。もちろん今時の世の中ですから、そういう方の想いやひとの善意や志というものが信じられないような人も、100人に1人くらいは、つねにあるものです。そういうかたは、共同庭を勝手にいじって、とか、あれこれ陰口を叩かれることもあるようです。でも長い年月の間には、どちらが間違っているか、どちらが人間としてまともか、少なくともそうした陰口をたたくご当人以外の99%の住民には、おのずから分かってしまいます。

 この庭は、そんな彼の40年近くにわたる植物への愛にもとづく日々の無償の行為によって育てられ、圧倒的多数の住民の彼に対する信頼と無言であっても絶対の支持によって支えられてきました。

  私などは彼のような生き方から中途半端に離れて、言ってみれば中途半端な観念の世界に遊んで生涯を過ごしてきました。
 その生涯ももう最後の一瞬に近い時期まできたいまになって、あらためて彼のように生涯かけて培ってきた一人の人間としての思想を、すべて日々の生活のほうへ返し、一切を、精神そのものを身体と化した強靭な生活思想に返すような生き方の凄さを、何かこういう浄土の光景のような庭を見るたびに、眼前に見せつけられるような気がしてなりません。





saysei at 20:49|PermalinkComments(0)

宝筐院の庭を歩く

1 宝筐院入口

 釈迦堂に近いお豆腐やさん森嘉で,スシアゲトヒロウスを買ってきて、と頼まれたので、掃除後片付けに訪れた義母宅を出て、散歩がてらブラブラ。森嘉さん、釈迦堂山門の前を通り過ぎて西どんつきにある小さなお寺「宝筐院」を覗いてきました。

2

 500円入口で払って木戸をあけると、右手に新緑の中で浮きあがるような本堂がみえました。

3

 庭に走る石畳の道も緑に囲まれて。

4

 ボタン?芍薬?菖蒲?アヤメ?カキツバタ?私には区別がつかないけど(笑)・・・
 このお寺はおもての京都市の立札解説によれば、こんなお寺です・・・

 善入山と号する臨済の寺である
 当寺は、平安時代に白河天皇により創建され、当初、善入寺と称した。南北朝時代に夢窓疎石の高弟、黙庵が入寺し、室町幕府二代将軍足利義詮の保護を得て、伽藍が復興された。更に、義詮の没後、その院号宝筐院に因んで現在の寺名に改められた。以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えたが、室町幕府の衰亡と共に寺衰微していった。
 現在の堂宇は、明治時代以降に再興されたもので、本堂には、十一面千手観世音菩薩を安置している。
 境内には貞和四年(正平三年、1348)四条畷の合戦で戦死した楠木正行(正成の子)の首塚と伝えられる五輪等石塔及び義詮の墓と伝えられる三層石塔がある。


5 本ぞ

 いつだったか亡母が、私の守り神は観音さまよ、と言っていたことがあるのを思い出し、殊勝に手を合わせてお参りしてきました。羽が羽ばたいているように見える小さな黒い像が、その十一面千手観世音菩薩。羽ばたく羽のように見えるのは千の手ですね。

6 黙庵と楠正行
 解説立札にあった正行と黙庵の図が本堂に掲げてあります。

7 本殿の脇庭
 本殿脇の庭。」
8 本殿脇廊下
 本殿脇の廊下。

9本殿前庭
 本殿の前庭。

10  楠正行首塚
 正行の首塚(伝)と義詮の墓(伝)。

11 山吹の道
 山吹の道・・・というのは私の勝手な命名。庭内は山吹が咲いてとても綺麗でした。

12 しゃがやさつき

 シャガやサツキも。

13  ぼたん あやめ

 ボタン?菖蒲?
14 つばき

 大きな椿の花も

 本堂も庭もこぢんまりして、シンプルで美しいたたずまい。とても気に入りました。客は最初わたしひとり。あとでお遍路さんなのか首から何か掛けた夫婦らしい二人がいらしてましたが、本当に静かな充実した時間が過ごせました。こんな場所が、観光地嵯峨野の釈迦堂や二尊院のすぐそばにあったなんて、いままで何百回と義母宅に来て散歩もしているのに気づきませんでした。

 これからもうしばらく観音さまが命をくださったら、季節ごとに立ち寄ってみたい。森嘉さんには始終スシアゲやヒロウスを買いに来るので。

 帰りの車の中でパートナーと、京都の東の端と西の端のこんなに素敵な風景の中にささやかな拠点を持つことができるなんて、ほんとうに幸せだね、としみじみ言い交わしたことでした。ただ車で通るだけでも、山越えの道を行くなら、釈迦堂の門前を曲がり、森嘉さんの角から大覚寺の入り口を過ぎて一気に広がる広沢の池の素晴らしい光景を眺め、春は桜並木、少し行けば藤右衛門桜を見ながら緑の中を山道へ快適に入って、やがて仁和寺の門前、いまは門前に立ち並ぶ背の低い遅咲きの御室桜を眺めて走り、やがて金閣寺前へ。。。ただ往還するだけでも、そんな美しい光景を眺めながら走れるのですから本当に京都に住んでいてよかったな、とつくづく思います。
 

saysei at 00:40|PermalinkComments(0)

2019年04月24日

浄土の花

浄土1

 いま共同庭は極楽浄土のように美しい花園と化しています。遅咲きの桜が満開。
浄土2

 庭先に立つと本当に夢のような美しさで、浄土ってのはこういうところかも、なんて思ったりします。

浄土3

 みんなお隣の園芸好きの方のボランティアでの日々の手入れ、植栽のおかげです。

浄土4

 きっと彼は共同庭を舞台に、自分の理想の庭を作ろうとされたのではないかと思います。本当にそのイメージ通りの完璧に美しい庭がいま眼前にあります。

浄土5

 団地への入居は40年近く前のことになります。その間にかなりの住民が入れ替わりましたが、私たちは当初からの入居で、ずっと同じ場所を動きません。庭の手入れをしてくださってきたお隣のご夫婦も最初の入居以来ずっと変わりません。


浄土6

 住み心地が良いので、ほかへ移れたとしても、移りたくないのです。

浄土7

 ほんとうにここに入居できて幸せです。そういう意味では、この公団住宅の入居者募集について知らせてくださった、いまも同じ団地にお住いの、もとの職場での同僚にして先輩には幾ら感謝してもし過ぎることはありません。

浄土8


 昨日は亡くなった身内のところで彼女が脚を悪くしてから、やたらと会員登録してDVやカタログが届いていた通販関係の会社に全部電話して、登録抹消や郵便物の類のストップをかける作業をしてきました。90年以上も生きれば自然と家の中にはガラクタの類がいっぱい蓄積され、棚の奥やら部屋の隅やら、いたるところからそんなものが出てきます。ぼちぼちの整理だけれど、結構日数がかかりそうです。自分はできるだけシンプルに、ものを残さずに、と思っているけれど、それでも本だけ整理しようにも大変なことで、なかなか思うようにはまいりません。

浄土9


 昨日の午前中には、パートナーに買っておいてもらった3つの木の芽目(葉山椒)の苗を、植木鉢3つに入れました。先日、肥料や砂、赤玉土、腐葉土、砂などを買っておいたので、それを使って3つの鉢それぞれに植えたのです。
 山椒はけっこう育て方がむつかしいようで、水不足が一番だめらしいけれど、水はけがよくないとダメなようで、なかなかちゃんと育って収穫できるようになるかどうかは微妙です。私がこんな園芸の真似をするなんて、とパートナーは驚いています。私はこういう庭仕事が苦手で、好きでもなかったから、庭のことは全部彼女に任せきりだったし、草引きがまたいやで(笑)、一緒にやりはじめても早々に退散することが多かったので。

 でもやってみるとそう悪くはないな、と思ったので、これから食べられるものを中心に(笑)、ぼちぼち猫の額の専有庭でなにか初めて見ようか、などと考えています。盆栽老人になるつもりはありませんが(笑)

 



saysei at 20:30|PermalinkComments(0)

2019年04月19日

花盛りの庭

花盛り1

 共同庭はいまが桜の盛り。居間や2階でくつろぎながら毎日お花見ができます。脚が思うように動かなくなった義母に、ちょうど共同庭の桜が寿命的にも勢いのピークを迎えてその花をめいっぱい咲かせていたときに来てもらったときも、ほかへ行かんでも、ここだけで十分お花見できるね、と大層よろこんでくれたことを思い出します。

花盛り2

 いまは八重桜に勢いがあります。

花盛り3

 空は朝が快晴。夕方散歩に出るころには雲が多くなっていましたが、一日気持ちの良い気候でした。

花盛り4

 庭には先日ご紹介した射干(シャガ)や蓮華、芍薬、それに蘇芳というのかな濃い紅の花等々、色んな花が咲いています。これもそのひとつ。

花盛り5

 芍薬も蕾が大きくなってきました。

花盛り6

 これはお隣さんの庭に咲いた美しい花で、目立っています。柵の間から失礼。

花盛り7

 おなじく。お隣さんは園芸についてはプロ顔負けの方で、若いころから、専有庭だけでなく、共同庭の植栽の手入れをまめに続けてくださっています。プロの業者が手入れはしているのですが、やっぱり予算等々の関係で、年に2回だけだし、きめ細かな愛情のこもった手入れではお隣さんに勝るものはいません。
 おかげでほかのブロックの共同庭が鬱蒼と放置された庭のようになっていたり、植栽が当初のまま来ているので、樹種によって成長の遅い早いや、高くのびたのも横に枝を広げたのもあって、生態学的な風景が変化していくとなんだかチグハグな様相を呈したりしているところがあるのに、うちのブロックの共同庭だけはずっといつも美しいままで、彼が個人的に植えてくれた樹々草木が季節ごとにほかのブロックにはない花を咲かせて楽しませてくれます。こんな方こそコミュニティの宝ですね。

花盛り8

 



saysei at 20:20|PermalinkComments(0)
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