2011年01月

2011年01月09日

ルーシー・リー展

 中之島の東洋陶磁美術館で開かれている「ルーシー・リー展」を見てきました。
 
 この美術館を訪ねるのは本当に久しぶりです。仕事の関係で頻繁に中之島へ足を運んでいたころは、会員になって、仕事で近くへ来るたびに立ち寄り、特別展開催中でなくても、ここに常設展示されている安宅コレクションの高麗陶磁のいくつかをみると、それだけで癒されるような気がしていました。

 今回は、以前に東京で見てなかなか良かったルーシー・リーの陶磁作品を、あのとき以上に網羅的に見られるというので夫婦で訪れたのです。

 私がいいなぁと思い、手にとってみたい、日常的に使ってみたい、と思ったのは、初期の可愛らしい小ぶりの椀、それに素敵だな、と思ったのは、それより少しあとの作品で、黄釉線文の鉢でした。ほかにもこの人の作品は独特の線状文と黄色の釉薬を生かしたのが、とてもいい感じでした。

 それでただちに階上の第二展示室へ移動して後期の作品をざっとみて出てくれば良かったのでしょうが、階上へ行く前に、階段脇の小さな部屋に展示してある日本の陶磁の部屋と、それよりはずっと大きな中国、韓国の陶磁の常設展も、せっかくだから、と寄ってみたのです。

 これがいけなかった(笑)。日本の平安時代からの陶磁をみて、目が釘付けになってしまって立ち去り難く、そこでルーシー・リー展全体を見るのと同じくらい時間を費やすことになりました。一点一点がよくもまぁこんなすごいのばかり集めたな、と舌を巻くようなものばかりで、その存在感が、ルーシー・リーの全展示作品の存在感を正直言っておそろしく希薄にしてしまいました。

 最初の、あれは水差しだったでしょうか、金属器かと思わせるような色合いの、硬質の薄手の陶で、一点の隙もないみごとな形状に、一片の陶を無造作につけたような取手のさりげない曲線が全体を限りなく優しいものしている、そのバランスの妙。

 そこでまず動けなくなってしまった。あれが平安時代、10世紀とか。あれ以上のどんな形を作れというのか、と陶芸家なら感じて絶望するのではないかと思うほどでした。

 織部なんかも、本当に無造作に描かれた(かにみえる)絵つけが素晴らしくて、いままで何十年も生きてきて色んな美術展で見てきたはずなのに、織部にこんなに惹かれるなんてことないはずなのに、といぶかしく思うほどでした。

 中国、朝鮮のほうは、たいていは以前から繰り返し見てきた常設展の見覚えのある作品ばかりだったので、新鮮というわけではなかったけれど、以前からその前に立てば癒される思いをしてきたいくつかの展示品、とくに二つすらりと並んだ青磁の深い色合いと完璧な造形に接すると、あらためて、これ以上の色や形というのを作れというほうが無理だろう、と思い、これらのものには「絶対」というふうな言葉がふさわしい気がしました。

 これらを見たあとで、ふらふらと階上の後期ルーシー・リーの作品群を見てまわり、妙な言い方ですが、ルーシーさんに気の毒なような気がしました。あのような歴史に選り抜かれたものが同じ館内で見られるというのは、ひねくれた見方をすれば、結果的に皮肉な展示の仕方だ、とも思えてしまいます。

 もちろん東京の展覧会で見たとき感じたように、ルーシー・リーはすばらしい現代陶芸家だったし、こうした彼女の足跡を数多くの作品で丁寧にたどって見せてもらえると、一人の作家の厳しい精進の過程がよくわかり、ありがたいことです。

 しかし、その大量の作品を一点一点見ていっても、10世紀のたった一個の水差しの存在感の前で、すべての彼女の作品が、見ている自分の中で率直に言って、存在感を失って「薄い」ものになってしまうのをどうしようもなかった。

 そりゃぁ、1000年の歴史に洗われて残った選りすぐりの一点と、その歴史の中ではほとんど瞬時にすぎない現代にあって、同時代のキュレーターたちがたまたま見出した一人のアーチストが懸命に試行錯誤する過程で作り出した作品群とを同じ土俵で比べること自体がおかしいんだ。源氏物語や平家物語や近松の作品と並べて、それに比べて村上春樹が軽いなんて戯言を言ってるようなものだぜ。

 ・・・当然、それは正論であることは分かっているのですけれど、こうして同じ場所で見てしまうと、同時代の一人のアーチストの懸命の創造活動というものがどういうものなんだろう、ということについて考え込まざるをえないところがありました。アートというのは本当に非情なものだな、と思わずにいられませんでした。

 ルーシー・リーの後期の作品群を見ていて、あれこれとさまざまな試みをする中に、いたるところ破れ目がみえても、楽しさが溢れ、勢いが感じられる初期の作品群から、技術的に精緻になり、しらみつぶしに色や形を、釉薬を、系統だてて実験していくような作品群になっていくにつれ、それらが、芸術として向かうべき方向を失っていくような印象を受けました。これは普通の成熟への物語とは違っているかもしれません。

 でも、彼女があくなき探求の果てに自分の陶芸を見出して安心立命の境地に達したとは、私にはとうてい思われませんでした。私は彼女の伝記的なことは何も知らないし、展示場での解説はほとんど読まないので、ほんとうのところどうだったのかは知りません。ただ作品群の変化を見た素直な感想として、彼女は後期へいくほどしんどかったろうな、と思いました。

  ところで、今回の特別展は、たしかにその作品の網羅性や変遷をきちんと見せてくれている点では、東京での展覧会よりも良かったと思いますが、展示の仕方としては、この館内で展示する以上制約があるから仕方がないけれども、東京の展覧会のほうがはるかに優れていたと思います。

 つまり見せ方自体が、作品をひきたたせ、その存在感をアピールするような、アーティスティックな展示だったと思います。とくにあれは安藤忠雄かだれかが展示設計したんじゃなかったかと、かすかな記憶(まちがっているかもしれない)があるけれど、水面に陶器を浮かせたような展示がありましたが、非常に印象的でした。

 今回の展示は東洋陶磁美術館らしく、オーソドックスな作品展示で、常設展と同様に、一点一点の作品の存在感をきちんと味わってください、という展示でした。だからこそ、よけいに前述のように、その何分の一かの小スペースに展示された日本の古陶磁の、一点一点の、歴史を凝縮した圧倒的な存在感に太刀打ちできない印象を受けたのだと思います。

 もちろん、これは1000年単位の歴史の厚みと、その中では一瞬にすぎない現代という時代の輪切りを同列に論じるアンフェアな感想で、まともな比較にはなりえませんし、ましてやルーシー・リーという優れた現代陶芸作家を貶めるものでないことは言うまでもありません。

 ただ、私たちの同時代を生きた優れたアーチストの最良の戦いの跡でさえも、という意味で、あれら数点の東洋古美術を同時に見せられることが、私たちの生きる現代というのものの薄っぺらさを思い知らされるような経験になるとは、久しぶりに館を訪れるまで予想もしなかったことでした。

                *

中央公会堂カフェ
 
 東洋陶磁美術館を出て、中央公会堂の下のカフェで一休み。紅茶が美味しかった。

 それから梅田の百貨店のSaleでパートナーがショールを選ぶのにつきあい、イルミネーションのあるロフトの脇を抜け、中崎町まで歩いて、なじみのフランソワへ。何人もの人と幾度も来ているのに、パートナーとは初めて。

 もうあぶらっこいものを沢山食べたい歳ではないので、アラカルトで、ベルギーで食べてから大好きになったムール貝やこの店でおいしいエスカルゴをとり、好物の仔羊料理を食べればおなか一杯。パートナーのほうは鶉の丸焼きのはいったコース・・・おいおい、元旦の「今年の目標」はダイエットじゃなかったんだっけ(笑)←こういうことブログに書いたことは内緒です。くれぐれも。

 正月は採点仕事もあって、ほとんど家におこもりしていたので、きょうは久しぶりに遠出をして夫婦二人きりのちょっと素敵な時間が過ごせて良かった。

ライオン橋から公会堂


saysei at 01:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
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