2021年02月25日

庭いじり、古今集仮名序

 春が近づいてきて、そろそろ植木鉢で固まっている栄養の抜けた土を、新しい栄養たっぷりの土に入れ替えてやろう、というので、キノメなど幾つかの鉢と、オレンジレモンやブドウの木の周囲の土を少し入れ替えました。ぽかぽか暖かくて、ちょうどよい日光浴になりました。 

 オレンジレモンは一昨年植えた年に1個、昨年は2個実をつけました。今年は3個か、いやいや倍々になっているから4個でしょ、なんて言いあって楽しみにしていますが、どうでしょうか。

 ブドウは植えてから何年にもなりますが、一度一房だけ実をつけて、虫にやられなかった幾つかの粒を食べただけで、昨年あたり、その前に牛糞などやったせいか、幾房か実をつけてくれましたが、実際に食べられたのはやっと一房分くらいで、あとは途中で萎んでしまったり、虫に食われてしまいました。やっぱり袋をかぶせたり、いろいろ対策をとらないとだめなのかもしれません。ちっとも園芸の初歩さえ学ばずに植えて放っておいて、収穫だけ期待するのは虫が良すぎるでしょう。

 今日の自転車行は、パートナーが必要らしい金属用の接着剤を求めて出町へ行って、金物屋さんでみつかり、あとは百万遍経由で帰ってきただけです。西部の書店に寄ろうかとおもったら、なにやら黄色い服を着たおじさん、おばさん(係員)らしき人が大勢立っていて、客も多そうで、イベントでもあるらしい雰囲気だったので、やめてすぐに帰ってきました。入試が近いはずだし、何か色々大学周辺もあわただしくなっているようです。

 片桐洋一さんの訳註による古今集は、150ページを過ぎてもまだ貫之の「仮名序」の途中です ^^,
   でも、こちらが無知なおかげで、とても新鮮でいっぱい啓蒙されます。古今集の本質的なところは言うまでもないけれど、ちょっとしたことで、例えば貫之が歌の<さま>を『毛詩』大序の六義をふまえて六種に分類して例を挙げている仮名序の一節を解説する途中で、その中のひとつ「いはひ歌」を貫之がどういうものだと考えていたかを例挙された歌から考察しようとして、その歌が催馬樂に歌われている「この殿はむべもとみけりさき草のみつばよつばに殿造りせり」をとりあげるときに、この「みつばよつばに」がまたわからない表現なのだ、とちょっと寄り道するときに、「端(は)」は「刃」「歯」「羽」「葉」などと同じく突き出したもの、突き出した所を言う、とさりげなく書いてあります。

 こういうところにくると、アッと思いますね。物心ついてからこんな言葉は何千何万回使ってきたかわからないのだけど、全然別の言葉として使い、別の言葉として聞き分けていたと思います。70年以上も(笑).でも、もとは同じことば、原始日本語ではきっと同じ言葉だったのでしょうね。

 幼い頃、母がよく私の容貌をからかって、「あんたはヤマザクラやから」と言ってたのを思い出します。花(鼻)より葉(歯)が先に出るから、というのですね。何と意地悪な母でしょう!(笑)自分がそのように産んだのにね!でもこれ、古今集的な掛詞だったんですね(笑)。母は古今集と源氏物語(晩年は『とはずがたり』でしたが)が何より好きでしたから。

 あるいは、「難波津の歌は御門(みかど)の御始めなり。」という貫之の言葉を解説する中で、この奈良時代から習字の手習いに使われてきた歌は帝(みかど)に対して詠まれた歌だが、この「みかど」という語は、もとは御門であり、特に皇居の御門の意味だったが、皇居全体を指すようになり、さらに朝廷の意になり、その中心人物である帝王の意になった、というようなことが書かれていて、これなどもみんな知っていることなのかもしれないけれど、私は不意を突かれて、なんだそうだったのか、なんて新鮮な思いで読みました。

 もう少し歌に近いところでは、冒頭の「花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌ひいだせるなり」という貫之仮名序の言葉に関して、古くから鶯や蛙が歌を詠んだというまことしやかな話が伝わっていて、古今集成立後の各種の注にも、その由来が書いてある、と紹介しているところなどが抜群に面白かった。その話(説話)というのはこんなものです。

 日本紀云、孝謙天皇の御時、大和国天間寺に僧あり。かの僧に最愛の弟子あり。かの弟子死にてのち、師深く歎きけれども、月日を経て後忘れぬ。ある年の春、住ける家の前なる梅の木に鶯来て鳴く。その声を聞けば「初陽毎朝来 不相還本栖」と鳴く。これを見れば歌なり

 初春のあしたごとには来たれどもあはでぞかへるもとのすみかに

 この時、師、弟子の鶯となりたりけると知りて深くとぶらひけり。この歌、万葉集に鶯の歌とて入れり。
 蛙のよむといふ事、同じく日本紀に云く、壱岐守紀良貞、忘草をたづねて住吉の浜に行きたりけるに、美しき女にあへり。後会を契るに、女のいはく「吾を恋しく思はむ時は、この浜へましませ」といふ。後にたづね行きたるに、女なし。かの浜に蛙出で来て、ゐたる前を這ひ通る。その足の跡を見れば、文字なり。これを読みてみれば歌なり。

 住吉の浜のみるめも忘れねばかりにも人にまたとはれぬる

 この歌を見て、蛙の化したりけると思ひて帰りぬ。万葉に、この歌、蛙の歌と入れり。


 この注は、片桐さんによれば、鎌倉時代の末から室町時代の始めにかけて大きな影響力のあった『古今和歌集序聞書三流抄』にあるのだそうです。もちろん万葉集にこんなウグイスの歌だの蛙の歌が入っているはずもなく、日本書紀にもこんな話はないので、まったくのフェイク(笑)。でも、この「鶯蛙の歌」の話は古今集の注釈書ばかりでなく、『曽我物語』にも謡曲「白楽天」にも登場し、広く伝えられていたそうですから、フェイクではあってもそれだけ面白い話だったからでしょうか。

 古今集の註釈というから、昔おふくろが持っていた国文学者の分厚い古今集の注釈書(古本屋に二束三文で売り払ってしまったけど)みたいにお堅い小難しい本じゃないかなぁ、と思っておそるおそる読み始めたのですが、この片岡さんの博覧強記の蘊蓄のいたるところで脱線しそうな細部の話が抜群に面白くて、肝心の貫之の本文はどうだったけ、と戻るのが大変なほどです(笑)。


今日の夕餉

★揚げ出し豆腐にカブラ、フキノトウのアンカケ
 揚げ出し豆腐にカブラ、フキノトウのアンカケ

★ウオゼの塩焼き
 ウオゼの塩焼き

★菊菜と人参のナムル
 菊菜と人参のナムル

★サラダ
 グリーンサラダ

★小松菜、おあげ、エノキダケの煮びたし
 小松菜、おあげ、エノキダケの煮びたし

★もずくと胡瓜の酢の物
 モズクと胡瓜の酢の物

★豆類三種
 豆類三種

★スジコンののこり
 スジコンののこり

★アスパラの肉巻き
 アスパラの肉巻き

★高菜の漬物と℃半
 高菜の漬物とごはん。以上でした。



saysei at 21:41│Comments(0)

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