2022年05月12日

五度目の硬膜外ブロック注射

 尻尾痕のあたり仙骨の穴から、硬膜外ブロック注射というのをするのも、きょうで5回目。椎間板ヘルニアで腰椎の間からニョッキリ、CTの影の長さからみるとおそらく2,3センチも突き出した太い棒状の軟骨らしきものに突かれて痛む神経叢から脳へ、痛覚を伝達する信号を阻止するらしい液状薬剤を注射器でグーッと注入するんですね。注射針を刺すときはもちろん普段そんなもの刺さるわけがないとこへ刺すんだから痛いのですが、刺したあと注射器のシリンダーを医師がググーッと押して薬液を注入するときの感じが何とも言えない(笑)。いや、もちろん快感じゃないですよ!だいたいそんなもが入る場所じゃないところに無理やり押し込むわけだから、いかに液体とはいえ、無理やり挿入されている、という、あまり普段経験したことのない、いやぁ~な鈍痛が、ほんの2秒くらいとはいえ、あるんですね。

 5回目だからといってなかなか慣れるというわけにはいきません。針を抜いたあとも、なんとなくやられたぁ、という感じでグッタリ疲れます。まあおかげで腰の激痛から免れているわけだから逆恨みしちゃいけないんですが・・・・

 全身麻酔の手術が、肺に疾患を持つ私は(急性増悪が起きるリスクがあるため)できないということで、結局痛みだけとりあえず止める、対症療法しかできないのですが、それだと整体さんに通いつづけるうちに半年後高1年後だかたつうちに、自然治癒してしまうという、まったく確証のない僥倖をあてにして、ひたすらその間痛み止めの対症療法を続けるしかないわけです。

 それで、このブロック注射はあまり何度もやってはいけないものなんですか?と担当してくれている外科医に訊くと、そういうわけではないけれども、やはり血管を傷つけたり、色々リスクは考えられる、ということと、繰り返し打つほど、激痛は抑えることができても、そうでない痛みには段々と効かなくなるということです。つまり痛みの抑止効果がだんだん低下するということですね。だいたい麻酔薬とか麻薬とか、痛みを止める薬剤というのはそういう性質のものなのでしょう。というより、処置を受ける神経の方が、そういう「慣れ」る性質を持っているのでしょうね。それも生体の適応の一種でしょうから、仕方のないことです。

 きょうからは頓服のカロナールのほかに、神経の痛みを抑えるらしいプレガバリン錠というのを出してくれました。うまく効くといいのですが・・・。呼吸器の担当医とは、なるべく薬剤は減らしましょね、と合意して最初はステロイドと、その副作用としての感染しやすさを防ぐためにやむをえず抗菌剤を加え、それが胃にきついから胃の粘膜保護剤を加え、また同じくステロイドの副作用で骨粗しょう症になりやすいけれど、骨の代謝を抑えて骨成分を残すベネット錠は顎骨壊死の副作用は有名ですが(今は怪しいと言われているらしいけれど)、私の場合は確実にあれが味覚障害の原因だったと考えられるので、そのかわりに補助的なビタミンDを加える、と、いちおうそれだけだったはずなのですが、それに加えて痛風が起きてしまうと、尿酸の分泌を抑える薬剤が不可欠になり、さらに今回椎間板ヘルニアまで起きると対症療法が必要になり、おまけにこのところ花粉症と似た症状でどうやら寒暖差が大きい(へたすると15度近い朝昼の温度差がある)ために、それで生じるアレルギー症状があるらしくて、私もパートナーもそれらしくて、ハナミズたらたら(笑)。仕方なくそれについては穏やかな市販薬を薬局に相談して服用しているのですが、そうすると朝食後に呑む薬は10錠を超えるんですね(笑)

 薬マニアでもない自分がまさかここまでになってしまうとは思いませんでしたが、それに対応するだけの不具合が身体のほうにあるわけだから、やむを得ないといえばやむを得ないのでしょう。いまとなっては朝夕乾布摩擦をしてとか、軽い運動をしてとか、散歩してとか、すべて不可能な身体になってしまっているので、なんとかひどくるなるのと、痛みだけはとりあえずとめるしかない、というわけです。

 先ほども明日がゴミ出しの日ですが、ひどい雨になりそうな予報なので、そうなると私も自転車で運べないし、パートナーもこのところ膝痛がひどくてゴミ回収場までの2,30mが、二人とも傘とゴミを持って歩けないので、仕方なく夜の雨が小ぶりなうちにと私が持って行ったのですが、小ぶりとはいえ雨なので自転車に乗らずに歩いて行ったら、腰痛の方はブロック注射で痛みを抑えているものの、今度は息が異常に切れて、戻ってからしばらくはへたりこむありさまで、そうだ、おいらの病の本命は腰じゃなくて肺だったんだ、というのをあらためて思い知らされました。もう2-30mも歩けないのか、と思うと情けないけれど、パートナーによれば、それは夕食後すぐに歩いたから、血液が胃腸の方に行って肺の酸素交換能力が削がれたからしんどいのよ、とのこと。

 そういえば昼も昼食後すぐに自転車で出かけたりすると、脚は痛まないのにものすごく気分が悪くなってフラフラだったことや、月初めの日曜日の掃除に出るのが朝9時なので、朝食後すぐに出たら気分がひどく悪くなったことがあります。そういうのは私よりパートナーの方がよく見ていてよく気づいてくれて、なるほど、と思います。とくに肺機能が急に低下したわけではないという意味では、ほっとしますが、胃腸を使うと肺がおそろかになって機能低下をおこす、というふうにこう過敏に反応するようだと、なかなか難儀なことです。

 とまあ、きょうはグチばかりですが(笑)、これでけっこう楽しい毎日をすごしています。足腰の痛みだの、息が切れて20-30っも歩けないこと、目がろくに見えなくなってきていることなどなど、言い出せばきりがないけれど、なんとかこうしてパソコンに向かって雑文を書いたり、本を読んだり、ビデオ映画を見たり、パートナーなど家族としゃべったり、あれこれ妄想したり(笑)、私がやりたいことは何でもほぼできるのだから(べつだんもう旅行に行きたいとか、遠くへ買い物や遊びに行きたいとか、誰かとどうしても会わなきゃとか、そんなこともなくなってしまったので)、特に不満もなく、美味しい食事を楽しんでいただいて、インコの世話をして、鹿さんたちの姿を見て、こんなことをしていれば幸せな日々が過ごせます。病院では今日も4時間くらいかかったけれど、おかげでほぼ1冊読めたし、特に待つことに不自由はありません。明日は本命の肺の方の大学病院で、久しぶりにCTを撮っての受診です。間質性肺炎が進行していなければ、取りあえずのいくばくかの延命は希望があると思うので、特段の変化のないことを願っています。


きょうの夕餉

★カレイ煮物
 カレイの煮物

★バーニャカウダ
 バーニャカウダと生野菜。バーニャカウダは市販のにさらに大きく手を加えて、わが家の味にだいぶ近づけてくれて、食べやすくなりました。

★鶏酒蒸しサラダ
 鶏の酒蒸しのサラダ

★里芋かぶら鶏椎茸サヤエンドウ
 里芋、かぶら、鶏肉、椎茸、サヤエンドウの煮物

★大根バトカブ皮キンピラ」
 大根葉とカブの皮のキンピラ。いずれも上賀茂で買ってきた大根とかぶです。

★グリンサラダ
 グリーンサラダ

 以上でした。今日は待合室でプーチンについての文庫のつづきを読んでいました。なかなか面白い。あとはホームページを改めようと思って、映画の感想でこのところ新しく見た映画の感想を長らくアップできていなかったので、その処理を始めていました。こういうのは案外時間がかかります。でも自分がその時何を思っていたか再読して面白がったりして、結構楽しい。










saysei at 21:33|PermalinkComments(0)

2022年05月10日

賀茂なすの味噌田楽

★賀茂なすの味噌田楽
賀茂茄子の肉味噌山椒田楽。

 きょうも私にとっての車いす代わりの自転車で、上賀茂へいって、戸田農園の野菜自動販売機で、とっても美味しそうで綺麗な野菜をみつけたので、喜んでゲットしてきました。
 今日の夕食のメインは、昨日おなじ販売機で買ってきた特大賀茂茄子でパートナーが作ってくれた、肉味噌山椒田楽。絶品で、なんかスエヒロのビフテキを平らげたような満足感がありました。

★蒸鳥のパクチーほか生野菜のせ
 蒸し鶏のパクチー他生野菜のせ。パクチーも上賀茂の別の野菜自動販売機でゲットしたもの。昨日はディルやらパクチーやら、珍しく香草類があって楽しかった。タマネギ、生姜、ニンニク、キノメもたっぷりのせてあるのに、パクチーの強い香りで飛んでしまったようです。パクチーの香りは好みがあって、苦手な人も多いでしょう。私たちは昨日のディル同様に大好き。

★白菜、もやし、しいたけのスープ
 白菜、もやし、シイタケのスープ

★五目黒豆納豆
 五目黒豆納豆

★もずくキュウリ酢
 モズクきゅうり酢

★ホウレンソウのおひたし
 ホウレンソウのおひたし

★グリーンサラダ
 グリーンサラダ

 以上でした。

 きょうも硬膜外ブロック注射と痛み止めカロナールの併用のおかげか、さほどの痛みもなく、家の中ではなんとか杖を突かずに歩けるようでした。ただよろけたり、腰がくだけそうになることがあるので、念のために大抵移動の時は杖をつきます。若いころは杖を突いて歩くお年寄りをみて、ものすごく長い人生を経ていろんな経験を積んできた、自分とはかけはなれた高齢者のように思っていたけれど、自分がそうなってみると、中身(あたまの?・・笑)は若いときと変わらない感じなので、なんだか奇妙な感じです。いまも二十歳のころ考えていたことを考えていたり、あの頃疑問に思っていたことはいまも疑問だし(笑)、ほんとに進歩ないなぁと思います。

 きょうは昨日、どさっと書いたものを送っておいた友人からの受取メールと、もう一人、歴史博物館の計画の際にお世話になって、その後もときどきお目にかかって楽しくよもやま話などさせていただいていた方から、久しぶりにメールをいただきました。
 ご体調が心配だったのですが、いまは回復されて、穏やかな日常をそれなりに楽しんで過ごされている由、安心しました。いつでもメールくらいお送りできるのですが、あまり頻繁になってもかえって返事の気を遣わせてしまったり、疲れさせることになっても、と互いに適度な距離をおいておつきあいしてきたところがあって、人との関係では私など足元にも及ばない洞察力で気遣いの出来る方で、絶妙な距離の取り方をされる方だから、私のほうはもう「あなたまかせ」で、こうしておたよりをいただくまでほうりっぱなしでご無沙汰ばかりしている、という不思議な関係で長年のあいだ楽しいおつきあいをしてきました。

 学生時代からの友人のほうは、ときどき互いに書いたものを送ったり送られたり、気が向けば感想など送ったり、という関係で、ときどき会っていたのですが、コロナが広がってからは私のほうが危ないこともあって、会わないできました。彼はもういいだろう、と言い、彼のごく親しい身近な人が二人とももう危ないとかで、そろそろあっておかないと「みんないなくなっちゃうよ」(笑)というのですが、私の方は、まだまだ・・・(笑)。別に会うのはいいのだけれど、まあパートナーも心配するし、家族の方が私の健康を心配して非常に神経質に外出やら外食やらも控えているから(もともと彼女もハレよりケの日常的な楽しみのほうが好きなタイプなのではありますが)、私がほいほい出かけて行って運悪くコロナでもひろってきたら目もあてられないから、まぁ私も出不精で家にいてちっとも不満はないので、半永久的なな<自粛>生活をつづけていて、さしたる支障もないといったところです。

 きょうは彼がメールで、共通の友人だった掛谷誠の「嫉妬の人類学」に触れて、先日私が友人に勧められてウェブ上に公開されていたモノグラフを読んで感想を書いた掛谷の教え子である人類学者の杉山祐子さんの論文を読むことで、掛谷の議論にはもっと奥があったことに気づいた、というようなことを書いていたので、おや、と思って、そのことについてちょっと書きました。

 彼は掛谷の「嫉妬の人類学」を読んで、掛谷らが対象としたようなアフリカの社会が西洋や日本の社会のような発展を遂げて行くのを妨げた要因として、住民たちの間でたとえば生産性の向上とかそれによる富の蓄積だとかいった突出を抑止する力が働いていると考えて、そこに平準化機構と言ったものを見いだすわけですが、もしそれが住民間の嫉妬だというなら、それは日本の村社会で出る杭は打たれるみたいな話で、そんなことを見つけにわざわざアフリカまで行ったのかよ、と当時思った、と言い、しかし杉山さんの論文を読むうちに、その奥にもっと深い闇があるというのか、隠れた力というのか平準化機構と言っているものの実体がある、ということに気づかされたというのです。

 でも私に言わせれば、掛谷は最初からそういうつもりでアフリカ研究に取り組んでいて、呪術の世界に飛び込んでいくのもそうだろうし、彼が師匠にならって「生態人類学」と言っていたのも、マルクス主義的な下部構造が上部構造を規定する、みたいな話ではなくて、「諸関係の束」である社会的人間と共同幻想をつくってしまう幻想的人間が同時に重なり合い、内在的に絡み合って生まれ、当初からそういう存在として社会を構成してきたところを、上部構造とか下部構造とかの二元論的な平面の投影像としてではなく、「生態」ということばで一元的にとらえられる視点を探していたに違いないと思っているのです。

 だから彼の言う「生態人類学」の「生態」は、上部構造を規定する下部構造のさらに下層にあって動物生としての人間の基底を指すのではないし、その延長上にそんな層を積み重ねようというのでもなくて、自然を人間化し人間を自然化する相互規程の中で社会的人間であると同時に幻想的人間でもあるようなありようとして誕生してきた人間の原初の姿を、その似姿をとどめる人々の間に見いだそうと考えてきたんだろうし、「嫉妬の人類学」というタイトルにもかかわらず、その種の平準化する力を心理(学)的なものに求めようという気などさらさらなかったに違いないというのは、最初から彼の書いたものを読めば感じられたじゃないか、という気がしたのです。

 それより私には、トングェ族の生計維持機構を明らかにして、「最少限努力」の原則を見いだしたというモノグラフの結論に、わが友人が感じたような、わざわざそんなものを見いだすためにアフリカまで行くかね、といささか失望感を味わい、おまえ学界向けに新米として揚げ足とられねえように、ガチガチに重武装したな、というふうなことを感想として本人に言った覚えがあります。でもそうじゃなかったんですね。あれだけだったら、下部構造だけ切り離して調査して見ました、と言いたいのかい、というふうに見えてしまうのは仕方が無かったけれど、そこから呪術医の世界へつなげていくところで、彼は潜在的にマルクス主義的の古典的な下部構造と上部構造の図式を彼の領域で、彼なりのやり方で破ろうとしていたんだろうな、と思います。

 なんだか友人のメールの話から、ほかの人にはさっぱり何のことやら、みたいな話になってしまいました。ま日記なんでご勘弁を。


 

saysei at 21:27|PermalinkComments(0)

きょうは水に脚をつけて~高野川の鹿

3頭
 きょうも川端で、高野川の鹿、全部で7頭を見ました。これまでは川床の中洲の草地で草を食んだり寝そべっている姿ばかりでしたが、きょうは水に入って、体を冷やすように、じっと立っている姿が見られました。去年も暑い日にはよくこういう姿を見ましたが、今日の左京区はコン9℃から24℃と寒暖差15度という極端な日で、夜明け頃は跳ねていた蒲団を手探りして手繰り寄せたほど寒く、逆に午後の陽射しの中ではもう真夏のように暑くも感じられました。


★石垣沿いの2頭
 草地にも姿が

4 石垣草の中
 同じく石垣沿いの草地に一頭。

 立っていたのと同じやつじゃないか、って?

肖像A
 この子はこういう顔です。

肖像B
 立っていたのはこちら。ちがうでしょう。鹿も顔つきに個性があります。

鹿1
 川の中の一頭

2
 中洲へ上がった一頭

この子は・・
 これは母子だったのか・・・

左後ろ足首がない
 後ろをいく仔が歩くとき腰くだけになっているのに気づきました。そのときは遠くて気づかなかったので、怪我でもしているのかと思っていましたが・・・

足の悪い子
 この子の左後脚は足首から先がありません。おそらく山の中で罠か何かに掛かって切れてしまったのではないでしょうか。そうだとすれば無慙なことですが、もちろんもっと幼いときに怪我をしたのか、あるいは生まれたときからか、分かりません。でも足以外は元気そうで、山からこんなところまで母親や群れと一緒に降りてくるのだから大したものです。途中で川の中だけでもかなりの高さの段差の滝があって、ここまで来るにはそこを飛び降りなくてはならないし、帰りは逆に高いところへ跳び上がらなくてはならないのですから、まだおそらく昨春生まれくらいの小柄な体で、これだけの障害を持っていてよく来たなと思います。パートナーは聴くだけで可哀想だと言ってこの写真は見たがりません。

 しかし、これも自然の掟、仕方がないことでしょう。罠だとすれば逃れようとしてがっちり食い込んだ罠で足首から下を引きちぎられるのを構わず逃げたのでしょうから、猛烈な苦痛を感じたに違いないのですが、生死の危機を乗り越えてこうして腰をガクガクと落とすような歩き方をしながらも、母親らしい鹿のあとを遅れずについて来たのは大したものです。この鹿はとてもいい表情をしていると思いました。

 一昨年も、大雨が降って川が増水した折に、まだその春に生まれてやっと群れとともに山を下りて来た可愛い仔鹿が土手と川面の中間に樹が倒れてその根についた土で僅かな空間ができているところに取り残され、土手の上に上がることもできず、そのままそこに体を巻くように横たわり、首を胸に埋めて動かなくなり、数日後にそのまま死んでしまうのを、どうすることもできず見送ったことがありました。

 網などの小道具を用意してそれなりのプロが助ければ助かる命だったでしょうが、素人にはどうすることもできない状況でした。何人もの人が区役所などへ連絡したようですが、京都府では鹿は保護獣として指定されておらず、むしろ山で増えすぎて、里へ下りて畑などを荒らすこともある害獣扱いらしく、積極的に殺さないまでも、仔鹿の命が危ないからと言って助けに来てはくれないのです。それも仕方のないことで、あのときも自然の掟は厳しいものだな、と思って可愛い鹿の死をなすすべもなく見送りました。

 あのときもしかし、生まれて間もない仔鹿とはいえ、みごとな死だな、と思いました。おそらくなんとかその状況から逃れようとして、風雨にさらされる中、餌にもありつけず、体力を消耗して弱り、自分で死期を悟ったのでしょう。もはやジタバタすることもなく、静かにうずくまって、ときどき身動きしたり目を開けているもとがあっても、そのままの体勢で2,3日じっと同じ位置にあって、死んでいきました。

 去年、春生まれの仔鹿が母親たちと一緒に降りて来たときも、ほかの個体が全部段差の滝を逆に見事に跳躍して上の段に降り立って帰路についたとき、最後に跳んだ一頭の仔鹿だけが跳んでも跳んでも自分の身の丈よりだいぶ高い上の段に上がれず、母親たちもずいぶん長く上で待っていたけれど手伝えるわけではないので、次第に草を食べながら上流へ移動し、仔鹿は結局6度ジャンプして全部失敗しました。

 途中、途方に暮れたように上を見上げたり、跳ぶ位置を変えて試みたりしていましたが、六度目のジャンプを失敗して滝の水に打たれて落ちたとき、くるりと向きを変えてきた道を逆方向に、振り向きもせずにいくらか戻り、川を渡ると、そのまま対岸の崖下の、人が下りてこられない緑地へはいって、その草の中へもぐりこんで姿が見えなくなりました。それから長く見ていましたが、もう夕暮れ時で、暗くなるまでちらとも姿を見せませんでした。

 自分が跳べなくてもジタバタするでもなく、はじめのうち心配そうに上で待っていた母親らしい鹿を探す様子もなく、ひとりで繰り返しジャンプに挑戦しては失敗し、ダメだとわかると実にいさぎよく踵を返して人の手の届かないところで身を隠し、夜を明かすことにしたのです。そんなこと母鹿が言葉ややってみせて教えられるわけもないと思うけれど、仔鹿は本能的に自分がなすべきことを知っているというふうでした。

 後日、その仔鹿は再び群れの中で元気でいるのを見ましたし、その後また彼がチャレンジして6度跳び、6度目に成功して見事に段差をのりこえて上の段にあがり、あがったところでゆっくりあたりを見回して、ずっと岸辺で待っていた母鹿のほうへ歩いて行き、母鹿とともにやや離れて待っていたほかの鹿たちのところへ帰って行ったのを目撃しました。それはとても感動的な出来事でした。

 生きるも死ぬも、鹿たちが見せてくれる苛酷ではあるけれど、その苛酷さに抗わず、精一杯生きようとして力つきれば自然の導くままに従う、ほんとうに見事なありように心を動かされずにはいられません。人間はなかなかあんなふうに見事にはいきませんね。

 身体のあちらこちらから黄信号や赤信号がともって、痛いやら苦しいやら色んな警報がにぎやかで、うめいてみたり、ぐちってみたり(笑)、医療のお世話になればなるほど、生も死も考えられないほど緩慢になり、微分化された死と向き合って生きなくてはならなくなるようです。



saysei at 19:04|PermalinkComments(0)
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